09年ボヤキ

龐統 士元

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2009年04月14日

龐統士元



拙者は名を「龐統」と申します。

なにやら、世の中では「レッドクリフ」なる映画が流行しているそうで、あれは「三国志演義」が舞台になっているようでござるな!

えっえ、実を申しますと拙者も「三国志演義」で活躍して
おりました。
しかもかなりの有名人でござった。


拙者は、諸葛亮と共に当時を代表する軍師の一人で
人々からは、鳳凰の雛と呼ばれ
拙者の力があれば、天下を治めることもできると言われておりました。

そんな拙者が、大活躍したのが「赤壁」でござった。

その当時、フリーターだった拙者は
ニートだった諸葛亮よりも、早くに魯粛にみいだされ
呉の王だった、孫権の下で働くことになった

そんな拙者が気にいらなかったのが
外見だけで出世してきた、No.1ホストの周瑜だった

イケメン度では周瑜に劣っておったが才能では
圧倒的に勝っていたね。
ベジータとヤムチャぐらいの差があったよ、きっと

そんな、ライバル(拙者はそう思ってないけど)関係が
長く続いた頃に、あの曹操が攻めてきた

曹操軍にビッビって、何もできない周瑜の変わりに
蒋幹をうまく欺いたのはこの拙者であった。

さらに義兄弟の諸葛亮が、頭を下げてお願いするものだから
拙者は、大胆不敵にも曹操軍に潜り込んで
北方人の弱点である船酔い対策として船同士を鎖で繋げることを
進言したのである

正直チビッたね怖くて(大きいほうを)
曹操がアホでよかったよ(ごめんなさい強がりです)

もちろん狙いは、炎で船を焼き尽くすことだったのは言うまでもない

さらに時間稼ぎも、小喬ではなく拙者がやった。
特技の大酒飲みを駆使して、裸で踊ってやったよ
10万人の前で、フリチンで、一時間以上も・・・(涙)

赤壁勝利は拙者のおかげ
太守ぐらいの地位はもらえると思っていたが

国に帰ったら、あの諸葛亮と周瑜に功績を奪われてしまい
国外へ追放されてしまった。

あの2人みたいに、上に媚びることができなかったわけだし
あの2人よりは、顔がブサイクだったわけだし
あの2人よりは、貧乏だったわけだし

でも才能で劣ったわけではなく、実力が圧倒的に上であることを
証明してみせたわけだから、まあ、よしとしようと思って恨みはない

この件で、天下人の曹操を敵にまわして
命を狙われるようになったのも、ハードボイルドでいいだろう

拙者は小さいことは、気にしないのだ。

だが、英雄は孤独だ。それゆえ気になることもある。

なぜ、拙者は映画に登場しなかったのだろうか?

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Posted by DJポチ at 20:29│Comments(0)09年ボヤキ
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大軍を率いて赤壁へ進行してきた曹操軍は疫病を蔓延させることで、劉備軍を撤退させる。残った周瑜と諸葛孔明は決戦の準備を始める。
レッドクリフ PartII -未来への最終決戦-【DJ犬による映画雑談】at 2009年04月14日 20:32
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