08年ボヤキ

レッドクリフ PartI 曹操対劉備

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2008年10月20日



『レッドクリフ(原題:赤壁)』は
ジョン・ウーが監督を務めるアクション映画

中国文学の四大古典小説の羅貫中「三国志演義」を舞台にし
前半のクライマックスシーンである赤壁の戦いを中心に描かれる。

08年11月1日公開前に、映画とは全く違うかたちに
この世界を勝手に解釈してみようと思います。

第一話 曹操対劉備


はるか昔、天下統一という野望に燃える曹操(そうそう)は
30万の兵力を使い怒涛のごとく敵国を攻めていた。

最初の攻略目標は、劉表(りゅうひょう)が支配する荊州(けいしゅう)。

荊州は地理的に曹操が支配する領地の急所にあたる場所で
この地を狙うのは当然だったわけだが

病死した劉表に変わって、跡継ぎになった劉琮(りゅうそう)が
戦乱を避ける為に降伏を申し込んだことがきっかけとなった

また、曹操にとって見逃せないわけもあった
自らがライバルと認めた劉備(りゅうび)一党が荊州の一角である
新野(しんや)を拠点として降伏を拒否したことだった

憤慨した曹操は、10万の大軍を率いて直接、新野の制圧に乗り出す

一方の劉備は、参謀である諸葛亮(しょかつりょう)が立案した
焦土作戦に頭を悩ませていた。

利用価値のある建物・施設や食料を焼き払い
敵軍を領地深くまで誘い込みながら、各個撃破する作戦は
地の利を熟知する諸葛亮らしい作戦案で勝機もあった

ただし、民に多大な犠牲をだす非情の策で
人徳者である劉備にとって耐えられなかったのと

曹操が新野を制圧することなく
劉備軍の殲滅を優先させることを見抜いていて
焦土作戦では足止めにもならないことがわかっていた

戦達者の曹操は兵站の弾薬・食料・武器などの補給路を
確保することに、誰よりも長けていることを
劉備は苦い経験から熟知していた

連綿と続く、曹操と劉備の感傷的な関係が
領土的支配欲を超えて、私的な戦になることを
諸葛亮は知る由もなかったのだが
そうかといって、曹操によって虐殺される民を見捨てることもできない

思案をめぐらせた劉備は、条件を定めて作戦を採用する
その条件とは劉備軍が、避難民を守る形で殿(しんがり)をすること
殿とは後退する部隊の中で最後尾の箇所を担当する部隊を指すが

これでは、足の遅い避難民の為に劉備軍が全滅する恐れがある

諸葛亮は反対の意思を伝えるが、劉備が首を縦に振ることはなかった
劉備は胸中では民と共に死すことも覚悟していたのだろう

長兄である劉備の気持ちを誰よりも察した配下の関羽(かんう)は
新野での勝利を諦めて、他の地に退却することを進め
荊州の南にある江陵(こうりょう)の劉琦(りゅうき)に
援軍を求めることを進言する

劉備はこの案を採用し、諸葛亮と関羽を外交使者として
江陵に派遣し、自らは軍を率いて曹操の足止めを開始する

赤壁(せきへき)の前哨戦であり、多大な犠牲を払う劉備一党にとって
最大の危機になる「長坂坡(ちょうはんは)の戦い」が、今はじまる



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Posted by DJポチ at 10:49│Comments(0)08年ボヤキ
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