08年ボヤキ

あのエリオット・ネスが対決した殺人鬼(上)

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2008年10月06日

エリオット・ネスが、1930年に酒類取締局で昇進を果たし
アル・カポネ摘発の責任者になったのが、若干26歳のころ

少数精鋭で構成されたチームは、脅迫に屈せず、賄賂も通じない
「The Untouchables」(手出し出来ない奴ら)と恐れられた。

ネスと捜査チームは密造酒工場を摘発して、カポネを苦しめ
一味の闇酒事業を管理する男たちを次々と逮捕していく

「アンタッチャブル」で知られるエリオット・ネスが
アル・カポネとの対決で勝利した後にどうなったのかについては
日本ではほとんど知られていない。

1935年12月12日にはクリーブランド地方政府の
公共治安本部長に就任したエリオット・ネスは
彼のその後の凋落を運命づける、殺人鬼と対決することになる

猟奇的な手口から、「トルソー・マーダー」と呼ばれる
恐るべき殺人鬼と・・・・


カポネ逮捕後、FBIの採用を待ったネスだが
彼に嫉妬したジョン・エドガー・フーヴァー長官に阻まれ

シカゴおよびオハイオ酒類取締局の首席捜査官を歴任し
禁酒法廃止後の1935年12月12日には
クリーブランド地方政府の公共治安本部長に就任した。

当時のクリーブランドはギャングスター天国だったが
ナイトクラブや賭博場の手入れを演出して、再び人気者になり
警察や消防の汚職一掃を陣頭指揮したネスは脚光を浴びるが

しかし、それも長くは続かなかった

3ヵ月前の1935年9月23日

ピッツバーグへと通じる線路の脇で遊んでいた少年が
首のない男の遺体を発見した。
全裸で黒い靴下だけを履き、性器も切断された異様な状態。
捜査する警察は、10メートルほど離れた雑木林の中で
もう一人、男の遺体を発見した。

この事件で奇妙な点は、地面と遺体に血が付着していなかったこと
別の場所で殺害し、頭部と性器を切断し、血抜きしてから
洗浄されて棄てられたのである。

しかも、恐るべきことに、死因は首の切断であることが
検視により判明した。
犯人は生きたまま首を切断したのである。
その切断面は、肉屋か外科医のように鮮やかであった。

胴体だけのマネキンをさす、「トルソー」から
「トルソー・マーダー」と呼ばれ新聞に書きたてられる事件だったが

4ケ月後の1936年1月26日
3人目の被害者フローレンス・ポリーロのバラバラ遺体が発見される

犯人に結びつく手がかりがなく、捜査に行き詰る警察だったが
クリーブランド地方政府の公共治安本部長に就任した
エリオット・ネスがこの事件の陣頭指揮をとることになる

-あのエリオット・ネスが対決した殺人鬼(下)-


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Posted by DJポチ at 11:17│Comments(0)08年ボヤキ
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