08年ボヤキ

レッドクリフ PartI 赤壁(後)

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2008年11月12日



『レッドクリフ(原題:赤壁)』は
ジョン・ウーが監督を務めるアクション映画

中国文学の四大古典小説の羅貫中「三国志演義」を舞台にし
前半のクライマックスシーンである赤壁の戦いを中心に描かれる。

映画とは違うかたちに、この世界を勝手に解釈してみようと思います。

第十話 赤壁(後)


曹操は予想以上の周瑜の抵抗に頭を悩ませ
全軍を前線に投入するのかどうか迷っていた
後方の備えが手薄になってしまう恐れがある

戦局を決定付けるこの一戦で
完全勝利するにはここが勝負の分かれ目で

こればかりは、重臣たちにその判断を
求めることはできない
あくまで、曹操自身が決めなければならない

曹操は大きな溜息を2度すると
曹仁に全軍を前線に投入するように命令を下す

周瑜も、曹操の攻めが全力でなかったので
何とか持ちこたえてこれたのだが
曹操軍の攻めが、より重厚になったのをみて
全軍への退却を命令し、自身は殿としてここに残ると言う

程普や魯粛が軽率な行動を諌めるが
周瑜は何も言わずに、ただ首を横に振るだけ
その間にも、曹操の大軍が陸口を埋めつくす

曹操は、戦局は決したと勝利を確信したが
何故かその胸中は、不安というもので一杯だった
このまま、本当に勝利し得るのだろうかと疑っている

その時だった
後方にある烏林の曹操陣営より、突然の喚声と炎が上がる

曹操は「何事か?」と物見に報告させると
烏林の曹操陣営が諸葛亮率いる劉備軍に攻撃されていた

夏口の城に劉備を残して
関羽、張飛、趙雲は諸葛亮の密書の指示にしたがって
闇に乗じて城を抜け出し、対岸の烏林に上陸した

陸口の孫権陣営より火の手が上がったら
移動を開始して、烏林の曹操陣営まで近づく

そして烏林の曹操陣営からも火の手が上がったら
各自総攻撃せよという、諸葛亮の策が成功した

前後を敵に挟まれた曹操軍は兵が動揺する

そこに長江の北から、劉備の水軍が
南から諸葛亮の水軍が曹操水軍に攻撃を仕掛けてきた

曹操水軍はまだ数の上で両軍を圧倒していたが
周りを敵に包囲され退路を完全に断たれる

曹操は炎が上る烏林を見つめながら
自らの敗因を分析するが、全軍を前線に投入せねば
あるいは奇襲を防げたのかも知れないという考えに
納得することができない

あえて言えば、歴史にその名を残す智謀の士
諸葛亮と周瑜の2人を同時に敵に回したことが
そもそもの敗因だったと言える

周瑜は烏林より火の手が上がったのをみて
全軍退却を取り消し、逆に残る戦力をすべて前線に投入し
浮き足立った曹操に致命的な反撃を加える

周瑜は残った水軍を指揮して、前線にでていたが
その目に軍船で指揮をする諸葛亮の姿を見つけた

周瑜は自らの病を恨まずにいられない
諸葛亮との雌雄を決するには
時間が足りないことを自覚したのだった

龐統は逃げる途中、孫権軍の周泰に捕らえられる
悪びれる様子もなかったが、周瑜の指示で命は助かった

曹操はわずかな手勢と共に落ち延び
周瑜の激しい追撃を振り切って江陵にたどり着いた

曹仁と徐晃に江陵死守を命じ
自らは本拠地の許昌へと引き揚げる
曹操はこの手痛い敗北で天下統一の野望を断念した

この勝利で、劉備は自前の領土を獲得し
諸葛亮を軍師として任じ、その勢力を拡大させていく

参加国の兵力

曹操 総兵 20万 赤壁参加兵 10万 死者・行方不明者 3万

孫権 総兵 10万 赤壁参加兵  3万 死者・行方不明者 5千

劉備 総兵  3万 赤壁参加兵  2万 死者・行方不明者 4千 




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Posted by DJポチ at 08:21│Comments(0)08年ボヤキ
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大軍を率いて赤壁へ進行してきた曹操軍は疫病を蔓延させることで、劉備軍を撤退させる。残った周瑜と諸葛孔明は決戦の準備を始める。
レッドクリフ PartII -未来への最終決戦-【DJ犬による映画雑談】at 2009年04月13日 06:44
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