07年ボヤキ

シャルル・ダルタニャン(三銃士物語)

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2007年11月19日

ルイ13世の治世下、リシュリュー枢機卿が権勢をふるう時代、青年ダルタニャンは都会で一旗揚げる夢を抱いて、ガスコーニュの田舎からパリに出てきて「三銃士」たち、アトス、アラミス、ポルトスと意気投合する。ダルタニャンは英仏両国にまたがる陰謀に巻き込まれ、三銃士の助けも得ながら大活躍する。みなさんご存知の三銃士物語だが、主役のダルタニャンが実在した人物であることをご存知でしょうか?

本名はシャルル・ドゥ・バツ・カステルモール。ダルタニャンは母方の姓。1633年には銃士隊に所属していたことが当時の閲兵書に記載されている。フロンドの乱の時には銃士隊は解散しており、マザラン枢機卿の腹心として、伝令や亡命先の確保等に奔走。その後、ルイ14世によって銃士隊が再興されると、銃士隊長代理となる。
 
フーケ事件では財務長官ニコラ・フーケの逮捕・護送・監視に活躍。「王には忠義あり、かつ護送する囚人には人道あり」と称えられた。1667年、銃士隊1番隊長に昇進。反乱の鎮圧や要人護送任務を着実にこなす。国境の都市リールの都市総督に抜擢されたものの、リールの城塞総督であるヴォーバン(後の元帥)麾下の技師団と指揮系統の違いから反目。最終的にはヴォーバン本人との直接会談を経て和解に漕ぎ着ける。
 
その後、再び銃士隊長に復職し、オランダ戦争に従軍。同盟関係から派遣されていたイギリスのモンマス公爵の補佐と護衛を務める。1673年6月25日、マーストリヒトの戦場で戦死。

 ルイ14世はダルタニャンの戦死について、王妃宛の手紙でこう触れている。「マダム、朕はダルタニャンを失ってしまいました。朕が最も大きな信頼を寄せていた男です。何事につけても朕に良く仕えてくれた男です」


DJ犬による映画雑談



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Posted by DJポチ at 09:20│Comments(0)07年ボヤキ
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